Persona Mania

日常、そして心境。

死にたい人

「死にたい」という人に対して、「あなたより辛い人生の人は沢山いる」「生きたくても生きられない人の事を考えろ」という人がいる。

想像力に乏しい人なんだなと思う。

例えば、生まれつき、あるいは後天的に目が見えなくなった人がいる。

その人に、「あなたは耳が聞こえるだけ幸せよ」と言えるのか?

感情や心は目に見えないから分かりにくいけれど、本来、「生きる」ことを一番に考えるはずの命が「死にたい」と真逆の欲求を持つ。これは、それ相応の原因があって、その原因によってもたらされた心の不具合だと思う。

事故という因があって、体に傷が付く。それにより目に障害が起こる。

これと何ら変わらないことが心にも起こっている。

「死にたい」ということがまるで大罪のように責められるのは、傷に塩を塗るようなものだと思う。

じゃあ、そういう人に対してどうすればいいっていうんだ。

そう言われるかもしれない。

基本的には何も出来ないと思う。 かける言葉も見当たらない。 でも、そういう人もいると認めることは出来る。

実際問題として、目の前で知人や家族に「死にたい」と言われたら、きっと思い悩むだろう。

でも「死にたい」には原因がある。

そう思わせる程に、心を壊した事象が存在する。それを、解消する他に解決策なんてあるのだろうか。

中には、もう、手の施しようがないように見える傷もある。

自我を固めるために重要な幼少期を、安全に快適に過ごせなければ、大人になったとしても心のバランスをとることは難しくなる。失われた「幼少期」はもう戻らない。

悲しいけど、人間である以上、限界があって、何とかしてあげたくても、方法も何も分からない時もある。

「死にたい」という人の命を大切に思って、手を差し伸べようとする人。 その人にも大切な人生があって、その人を大切に思う人もいるだろう。

冷たいようだけれど、無理に何かをしなくてもいいと思う。

「ごめんね、どうしてあげることも出来ないけど、辛いんだね」

辛うじてこの程度の言葉を紡ぐだけ。

この世界は不平等だから、どんなに辛い時でも、自分を変えられるのは自分だけで、最終的な救いは自分でしかもたらす事は出来ない。

だからせめて、何も出来ないのだとしたら、「死にたい」という人を認めるべきだと思う。

彼らは怪我をしているだけ。 罪人ではないと思うから。

「死にたい」と思う事は罪じゃない。 悪いことではない。 誰が望んで、毎日毎日、死にたいと思うんだ。思ってしまう、それだけだ。

心に怪我をしたら、誰でもそうなってしまうんだ。 風邪をひけば熱がでる、これくらい当たり前のこと。

そう思うんです。